【不登校】私がブログに残すわけ
こんばんは。 つむです。
先日、ある友達と久しぶりに電話をしてまして。我が家の、不登校の状況を知ってる子で、
「最近、子どもらどう?」
って、聞かれたので、
「うん。相変わらず二人で毎日家におるよ。私は変わらず元気で、なんやったら毎日楽しい。
我が家始まって、初めての平穏な日々なぐら い。」
と、伝えるとひいてたwww
しんどく思ってた日々を知ってる子なので、
「しんどすぎて、ふりきっておかしくなった。」
と思ったみたいね。
そりゃね、確かにふとした時に、
(これって親としてどうなんかな)
(親がすべきことを放棄してるんかな)
と思うことだってある。
だけど、親だからできた判断。ってこともあるよね。
ちょっと前まで、自分にすごくひっかかってた
<子どもを信じる = 自分を信じる>
というやつ。
すこ~しずつ、わかってきてるかもしれない。
文章にできるほどはまだわかんないけど、感覚として、なんとな~く。
【ブログに残すわけ】
一言で言うと、完全なる自己満足。だと思う。
自分のため。
このブログを開設したきっかけは全然違う内容だったんだけど。
(それも、今思うと、ちょっと現実逃避なところもあったかも)
やっぱり、今の私の生活の中心、というか、気持ちの中心が子どもたちとのことで。
子どもたちの「不登校」という課題を通して自分自身を見つめ直すことをしている。
また、自分自身が変わろうとしていること、それに関して、書きながら整理したいこと、
実際に変わったなと思うこと、自分が変わって、周りがどうなったか、ということ。
それらのことを忘れたくない。
で、何かの時にはここに立ち戻れるように。
今は、今できることの最善を尽くしている。
その最善に行き着く過程を覚えておきたい。
不登校が始まった時からは、想像もできない自分になっている。
その過程は、何をしたのか。
何を思ったのか。
何に心を動かされたのか。
どんな行動にうつしたのか。
ということを。
今回の課題は、「不登校」だけど、
また違う何かにぶつかるかもしれない。
その時に、今回の自分との向き合いかたを
記しておくと、何かのヒントになるかも。
そんな思いがあるのだと思う。
【誰かのため】
そしてもうひとつは。
見知らぬどなたかが、私のブログにたどりついて。
私のどこかの何気ない一言に救われるかもしれない。
もちろん、その反対もしかり。
同じ、不登校という課題を抱えた方が
「あ、そんなんでいいんや」
「あ、この人も泣いたんや」
「あ、そういう考えもあるんや」
で、何かが変わるかもしれない。
それは、私がそうだったから。
色んな方のブログなどにお邪魔して、色んな感情を味わった。
不登校の数だけ、家族の数だけ、思いや過ごし方があって。
どれも、正解も不正解もなくて。
直接の解決の糸口にはならなくても、解決にむかう、通過点になるかもしれない。
そんな思いがある。
なので、
「我が家の不登校はこんな感じ!」
と、みなさんにお知らせするためでもある。
画面の向こうの見知らぬ誰かと、つながれたらこれまた幸い🎵