紡ぐ

不登校の娘たちを通して、自分の子育て、人生やり直し中!不登校を問題だと思う私が問題だったという・・・

あたまの中の余白

昨日は、お茶しようと、友達を誘いこみ明るい時間から焚き火へ。

暗闇の中の炎がいいのはもちろんだけれど、明るい中での焚き火もいいね。動きやすいし、こどもたちが遊びやすそうだ。

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【炎を見ながら】

いつも、ぼ~っと炎を見ている。


見ながら何を考えてるの?と聞かれることもあるけれど、あまり何も考えてない。あえて考えていないのではなく、考えることができない、といったほうが近いかも。大きく主張しだしたり身を潜めたり、何かを手渡すように移動したり・・そんな炎の動きをただひたすらに見つめている感じ。


あたまがそんな時間を欲しているのかな。
なにも考えない、という時間を。


そう思うと、常に何かを考えてるんだなぁと今更ながら気づく。


【考えること】


普段、生活していると様々なことをみんな考えてると思う。一生懸命想いを巡らすこともあったり、浮かんでは消え、浮かんでは消えする何かをつかみきれないこともあったり。



・・・私は、何を考えてるだろうなぁ。

こどものこと、旦那のこと、自分のこと。親のこと、仕事のこと、家のこと。焚き火のこと、今日の晩ご飯のこと、目の前の事務処理のこと、捨てたくてほったらかしにしてる椅子のこと・・

最近のブログにも書いたけど、10年もすると子どもはもう離れている(はずww)

そのときに、自分はどうありたいのか。どんな人生を送りたいのか。どんな毎日を過ごしていたいのか。
いざ、子どもが親元を離れたときに、さぁ!と動き出すのと、今から小さなことを積み上げてその時を迎えるのとでは、その後の人生全く違うかな、と思ったり。



【余白があるからこそ】


手帳の予定が空いてるからこそ、埋まる素敵な未来。そんな風にあたまの中にも余白があって欲しい。
いっぱいいっぱいじゃ、新しい素敵な何かは入ってこないもんね。

考えていて今楽しいのは、焚き火だなぁ。やりたい!と思ったら、すぐしたいのに、それはなかなか叶わない。といっても、20分もチャリンコこげば、海に出れるので恵まれた環境ではあるのだけど。欲をいえば、徒歩3分で焚き火。なんだったら、家の前。

なので、そんな場所を作っちゃえ!
と、焚き火屋みたいなことしようか、とか、イベントでブッシュクラフトの先生呼んで~とか、焚き火ごはんの会して~とか。そのうち近所のおじいやおばあや、不登校の子たちが集まりだして~とか。

そんな、楽しいことを考えている。


生きていると時には深刻なこともあるけれど、それを深刻にするか笑い話にするかは、自分次第で。だけど、笑い話にしちゃうのは私の思考の癖かもしれない。本当は、笑い話にする前にちゃんと向き合うべきなんよね。がっつり向き合って、自分がどう感じてるのか、感じたのか、を自分で受け止める必要がある。

それが私はどうも苦手なようで、新年から他者に手伝ってもらって、ちゃんと自分と向き合うことをしようと決意した。
また、別の日にこれ書こう~。



私がそんな色々と楽しいことを思い描いたり、自分と向き合あおうという気持ちになれるのは、あたまに余白があるからだと思う。
それって、旦那が一生懸命働いてくれてて生活に心配ないからよな、とそんなところに行き着いて、感謝する日もあったり。



色んな思いを抱えてくれてる自分のあたまにも感謝して、今日はこのへんで。



そう!あたまの中には色んなことがつまってるので、ときどきノートに出すようにしているのだけれど、なかなか続かない。日々の生活で 「書きだす」 ということに重きを置きたいと思ってるのだけどね。




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