紡ぐ

不登校の娘たちを通して、自分の子育て、人生やり直し中!不登校を問題だと思う私が問題だったという・・・

【不登校】自分を信じる

【意識の先】

 

最近、本を読んでても、ブログを読んでても、

ラジオを聴いていても、よく目にする言葉。

 

<自分を信じる=子どもを信じる>

 

え?ここでも?

え?また!?

 

っていうぐらい、頭の中に飛び込んでくるこの言葉。

 

最近ね、

不登校の子どもたちにむけて発している(つもり)の

意識が、「信じる」

 

「心配」の目で見つめるのではなく、

「信頼」の目で見つめようとしてる。

 

私は、昔から根拠のない「大丈夫やろ」を思ってこれた人間なので、

そんなにハードルは高くなかった。

 

子どもたちのことも、

「学校に行ってなくても、大丈夫やろ」

「この子らは、生きていく力はあるから」

と、まぁまぁ信頼の目で見れているつもり。

(あくまでも、つもり、ね)

 

そこから、子ども達に対して

イライラすることも減ったし、

なんだか楽観的になることも多くなった。

 

だけど、この言葉。

<自分を信じる>

 

 

【それってなに?】

 

<自分を信じる>

に、とにかくひっかかる私。

 

これ、信じれてないんやろな~

この言葉を見て、しっくりこないってことは、

できてないから、ひっかかるんやろうなぁ~

って。

 

<子どもを信じる=自分を信じる>

 

娘たちのことは、信じてる

じゃぁ、自分は?

 

ってなると、

「うむむむ・・・・・」ってなる。

 

娘たちを、今、信じて、好きな過ごし方をさせてる。

そうさせてるのは、私。

じゃぁ、そうさせてる私の判断を信じてないってこと?

そこで、私の判断を信じてなければ、

結局、私の判断で過ごしている子どもたちを

信じていないってことになるのか・・・

 

そうなのか!??

 

<自分を信じる>って、

<自分の判断を信じる>

<自分の選択を信じる>

<自分の直感を信じる>

 

ってことかな。

 

【信じる行動を】

じゃ、自分を信じれてるな、って簡単に判断できる材料が

欲しくなる。

 

それってなんやろ。

 

自分を信じて、そう思った通りにやってみて、

「うん!成功!」

ってなったら、「信じてよかった~」

かな。

 

じゃ、

「お昼ご飯にやきそば食べたい~」で、

食べてみて、

「あぁ。美味しかった!やった~!」で、

 

「自分を信じてよかった!」

→自分の直感、信じれる!

 

かな。

 

 

うむむむむ。

 

色々と、検証していこう。